自己紹介 

長女and次女

34歳で結婚

わたし(40歳)、妻(37歳)。
出会いは10年以上前、同じ会社で知り合いました。
私の人生設計では27歳で結婚、29歳でパパになる!って感じでしたが交際スタートが29歳、、、。その後も度々プロポーズを繰り返すも中々結婚してくれず、漸く34歳で結婚できました。

長女誕生

元々早めに子供は授かりたいと思っていたのですが、嬉しいことに結婚式をあげた2ヶ月後に妊娠が発覚、出産に向けて準備が始まりました。
妻は中高とスポーツに打ち込んでいたので体力には自信があったので、自然分娩で行く事になりました。
尚、初産は2019年の秋でまだコロナが流行する前で、立ち会いも全く制限が無かった時期です。翌年からはガラッと変わったと思いますが、、。
初産なので、のんびり実家にて産休を満喫して過ごし、予定日1週間程過ぎた頃に破水し朝9時頃病院へ。
いよいよか!と早る気持ちを抑えながら病院へ駆けつけました。
ただ病院で目にした妻は実家で煎餅食べながらくつろいでいた人とは全く別人。
度々訪れる陣痛の痛みと中々広がらない子宮口で悶絶してました。
暫くは産まれないとの病院側の判断で、一旦帰宅。いつでも駆けつけれるように電話の音量MAXにして就寝。

早朝の4時44分病院からの着信。444って、不吉な、、、と思いつつ電話に出るとそろそろ産まれるので病院へ来てくれとのこと。急いで身支度を済ませて病院へ向かいました。
初産でもあり陣痛が進むがなかなか赤ちゃん降りて来ず、妻は陣痛に耐えながら分娩台で嘔吐を繰り返していました。
あまりの痛みで耐えられず体力も落ちてきていたので、急遽無痛分娩に切り替え。

痛みが和らいだからか、その後無事に長女が産まれてきてくれました。

頑張った妻を差し置いて最初に抱っこは出来ないという私と、疲れすぎて抱っこできる体力がない妻に挟まれ暫く抱っこしてもらえなかった長女。次の子は問答無用に抱っこしようと心に決めました。

次女誕生

先ずは長女との時間を大切にしたかったのと、出産のトラウマで第二子は暫くお預け。私としては体力的にきつくなる為、早く次の子を授かりたい気持ちはありましたがそこは何も言えず、、。

コロナも落ち着いてきた22年の暮れ。
出産に恐怖を覚えていた妻からそろそろ2人目産んでも良いよとの声が。
気付けば私は40歳手前、妻も35歳に。今から授かっても高齢出産の年齢に到達。
1人目は直ぐに授かれたが、2人目はどうなのかとの不安もあり23年新年早々妊活を開始しました。

そんな不安もなんのその翌月には妊娠が発覚。

早速長女へはお姉ちゃんになるよと伝えましたが、不安よりも喜びが優った感じでとても喜んでくれました。
我が家ではお腹にいる間はベビちゃんで呼んでいますが、どんどん大きくなる妻のお腹をさすってはベビに話しかけてくれる長女に心癒される毎日。

時は流れ10月の予定日前日。
長女の保育園の運動会。コロナで2年間開催されていなかったので長女にとっては初めての運動会です。
運動会行けなかったらどうしようと話していたのですが、次女が空気を読んでくれて幸い2人で鑑賞することが出来ました。

その夜、疲れた長女が眠りについたあと、陣痛が開始。
慌ててタクシーを呼んで病院へ向かう妻。
夜の11時過ぎでしたが、1時間かけて義母が駆けつけてくれたので、私もいつでも駆けつけれるように家で待機しました。


朝5時に妻からそろそろ来てとの電話。
コロナは落ち着いたものの立ち会いは1人のみ、そして直前に声がかかると聞いていたので慌てて身支度を開始。長女に声をかけるか迷ったものの気持ちよさそうに寝てるし時間もないしで義母に声だけかけて車を走らせました。

5時半に病院の駐車場につき、
直ぐに呼ばれると思いきや1時間、2時間経っても呼ばれず。こんなことなら長女とぎゅうしてくれば良かったなんて思いながらひたすらに待ちぼうけ、結局呼ばれたのは朝10時。
今回は当初から無痛分娩を選択していたのですが、この日は日曜日で担当の医師が不在でどうやら暫く注射を打てず暴れ回っていたらしい。慌てて担当医を呼んでくれたようで、なんとか無痛分娩の手配は出来たようです。
病棟に着くとお父さん背中さすってあげてと助産師さんからの指示で、陣痛にあわせて必死にお手伝い。
あと10分くらいで産まれるから頑張ってね!と助産師さん。
あとちょっとたぞ!と声をかける私と、陣痛の度に息む妻。
が、全然出てこない。
そこに頭もうあるんだけどなぁと何度も繰り返す助産師。
結局11時30に漸く第二子誕生。
頭が引っかかってたからかドングリみたいな可愛い女の子が産まれました。

妻は当然の如く疲れ切っていたので早速私が抱っこ。新生児ってやっぱり小さくて可愛いなあ。

タイトルとURLをコピーしました